第8回「津軽の自然に生きる」

高田 敏幸氏 (岩木山自然学校)

人生50年の節目を、これほどショッキングに迎えるとは夢にも思いませんでした。

穏やかな顔を見せる冬の岩木山

2002年1月19日午前11時20分それは何の前触れも無く、突然鈍い地響きとともに襲い掛かって来ました。あっという間に3人の仲間が飲み込まれました。「雪崩だ!」。後は悪夢の中をさ迷い歩く自分と、現実に対応する自分とがあり、とても不思議な空間の中にいるようでした。雪に埋もれた2人を掘り出し心肺蘇生をしたのですが、残念ながら2人は二度と息をする事も、話をする事もできませんでした。その時は悲しい思いはありませんでした。とても悔しい思いと、何でこんな事になってしまったのかと言う思いでいっぱいでした。幸い1人は無事に脱出し、私は間一髪巻き込まれること無く生還することができました。

その後は当事者よりも報道で事故を知った皆さんの方が、事故の状況や救助の状況が詳細に伝わっていっているようでした。ほとんど蚊帳の中に入れられた状態の私には、世の中の動きがまったく伝わってこない状況で、亡くなった二人の葬儀が終わるまでの3日間が空白状態でした。皆様には大変ご心配をお掛けした事と思います。改めてこの紙面をお借りし皆様に心よりお詫びと、感謝を申し上げます。

春に遊ぶ子供達

空白状態の3日間は、夢遊病者のように自分自身をつかむ事ができない状態でした。その時妻と娘達が唯一の支えになってくれていたのだと思います。その後百数十通のお電話と電子メール、その他お手紙やお葉書数十通頂くことになりました。厳しいご批判も頂ましが、大半はいたわりの言葉と激励でした。そして1ヶ月後のJON青年ミーティング「夢と思いをカタチに」の出会い。どん底の暗闇に落とされたかと思われる日々から、多くの激励とJONのネットワークから発せられる熱い思いが、あちらこちらから差し込む光に包まれる日々へと変わっていくのが、実感として捉えられるようになってきました。

夏のキャンプ

亡くなった二人の山に対する想いを、生き残された私が「カタチ」にして行く事が二人に対する供養と考えるようになりました。亡くなった一人は私の片腕として活躍していた人物です。彼とは岩木山自然学校をNPO法人にする話をしていました。でもその時は漠然としたものでしかありませんでした。逃げ出したい気持ちと進まなければならないと言う気持ちとが錯綜する中でのJON青年ミーティングは、とても大きなきっかけを作ってくれたと思っています。

事故から半年が経った今、彼らの「思いをカタチ」にするべく、岩木山自然学校をNPO法人とし、更なる飛躍と人材育成に努めていくことが、社会に貢献して行くと同時に、彼らが一番喜んでくれることではないかと思っています。

この秋岩木山自然学校はNPO法人として、津軽の自然の中で生きていきます。(2002.6.20)