第13回「宇宙の偉大なる観察記を求めて」

目黒 義重氏 (どんころ野外学校)

小さい頃、面白くて夢中になって読んだ本というのが幾つかある。

最近、そんな本を何冊か読み返して見た。勿論、あの頃のような感動を期待した訳ではなかったけれど、少し、失望を味わった。

大きなクワガタも棲む哲学の森は、どんころの全てのいきものの憩いの空間

ジュール・ベルヌの「地底旅行」、「十五少年漂流記」、デフォーの「ロビンソン・クルーソー」など。しかし、再びあの感動が蘇えることはなかった。小学生の頃に読んだ本であり、五十過ぎて、もう味わえないのは当然と言えば当然なのかもしれない。

「ロビンソン・クルーソー」については、新潮社の文庫本で出ている高橋大輔著の「ロビンソン・クルーソーを探して」というのが面白かった。これは、勿論、大人向けの本である。「ロビンソン・クルーソー」を読んで、その感動を忘れられなかった青年が、なんとその本には実在のモデルがいたということを突き止めたドキュメントである。そうか、こういう味わい方をすれば良いのだ、と私は気が付いた。しかし、「地底旅行」に実在のモデルがいるとはちょっと考えられない。

そこで、こんな商売に落ち着いたので、なにかの役に立つだろうと、たまたま私の住んでいる南富良野町の図書館 (実際は、福祉会館に併設されている小さな図書室) に、あの懐かしい偕成社の「ファーブル昆虫記」を見つけたので、読み返してみた。この本は特別だった。再び受けた衝撃は、むしろ子供の時より大きかった。感動で頭がいっぱいになり、内容はすぐに忘れてしまうほどだった。また、幼い時とは違った感想も抱いた。百五十年ほど前、ファーブルに観察されたフンコロガシやハチやカメムシなどの昆虫達は、当然のことながら自分が観察されていたとは気が付かなかっただろう。ひょっとしたら、地球上の人類もファーブルの昆虫達のように、誰かに観察されているかもしれない、などとおかしな事を考え始めてしまった。

「銀河系の知的生命体観察記」などという本が、この宇宙のどこかに存在しているかもしれない。最近の宇宙論の多世界解釈によると、沢山の宇宙が無限に存在するそうだから、あらゆる宇宙の知的生命体の観察記なんていうものすごい本も、もしかしたら存在するかもしれない。

こんな本を私達人類が読むことが出来れば、地球上には、間違いなく戦争なんていうものはなくなるだろう。しかし、たとえ、そのような偉大なる観察記が存在したとしても、私達が読むことはおろか、手に触れることも出来ない世界に属するものなのだろう。ファーブルに観察された昆虫のように。